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Diary2017
2016.11.1~2018.2.28
2017/07/15
他愛もない話
ボーダーライン。
前にも書いた気がするけどSNSに関しての話を前置き的に少しだけ。
今、一応はfacebook、Instagram、Twitter、LINE、Eightの5種のSNSを使っています。
とはいっても実質的にはInstagramとLINEとEight…だな。
FB(facebook)とTwitterはインスタ(Instagram)に自動同期されているだけで実際ほとんど見ていないし。
Twitterに関してはここ2~3年開いてすらいない。。。
インスタだって積極的な利用をしているかどうかと言われれば、ぶっちゃけ極めて個人的な投稿をゆるゆるっと出しているだけで、これはもう完全に趣味や息抜きのレベルです。
前に書いたように日々の暮らしの中から感じたことをポポポッと切り出す俳句や短歌みたいなものですわ。
Eightは割りと最近使い始めたんだけど、なかなか良いですね。
こちらは完全にビジネス寄りのものなので名刺管理だということで割りきって使ってます。
あれこれ散々やってぐるりと一回りしたので、誤解を恐れずに言わせてもらえばSNSはかなり個人的なツールだというところに到達しています。
なので、仕事上の告知や情報拡散に使うというのは極めて個人的なケースを除けば、よほどの事情がない限り今後はほとんどないでしょう。
つまりは仕事のツールとしての活用はあまり考えていない、という事。
実際、この2年くらいは自分が好き勝手投稿する以外のアクション(「いいね」とか「シェア」とか)は全くしていません。
ハッシュタグも嫌いだから使いません。
これではもはやSNSの意味がないですね(笑)
とはいえ、メッセンジャーやLINEはだいぶ活用しています。
メールを使うのが面倒くさくなりますね。
facebookのアカウントはこの為だけにあるようなものかも(笑)
とかなんとかいいつつも、これは全て私個人の価値観の話だから他の人がどんな風にSNSを使おうとそれをどうこういうつもりもなければ権利もないです。
SNSを使ってビジネスを拡張させたければ自由にやればよいのです。
つまりは人それぞれです。
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認識できるかどうかは人ぞれぞれだと思うんですが、、ここ数年で、本当に時代の変革が訪れているのを感じます。
これまでの価値基準の枠組みの中で物事を見ていると、だいぶ苦しい時代になってきました。
その中では未来がずいぶん先細り、、ですよね。
一転、やり方次第では人はどのようにでも生きられる、そんな時代になったようにも思います。
まあ、言うなればどんな時代においても人は何とかなるものではあると思うのですが、、、
ただ、なんというか、人一人(一家庭)が時代を生き抜くという意味において、
「なるようになるさ」
という精神論の時代から
「やりたいようにやるさ」
という方法論の時代に変わった
そんな風に強く実感しています。
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実際のところ、私自身も今まさにそれを地に時代を生きています。
これまでの時代を生き抜いてきた先輩たちは物知り顔で「そうじゃない」「こうじゃない」
と押さえつけるように出来ない理由を語りたがります。
もちろん先輩たちへのリスペクトは忘れませんが、
何を言われたところで、「無理だ」という前提で何かに取り組むような事は一切ありません。
「今まではそうじゃなかったかもしれないが、これからは違う」
そんな想いが根底にあります。
あえて言葉にすることは今まで無かったですが、これは決定的なものとして自分の中に核を成しています。
だからけしてふわふわと浮き漂ったりはしません。
あえて言葉にすることは今まで無かったですが、これは決定的なものとして自分の中に核を成しています。
だからけしてふわふわと浮き漂ったりはしません。
これもまあ根性論といえば根性論なのかもしれませんが。
だって根っこは体育会系だもの。
だって根っこは体育会系だもの。
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これは新しい時代なのか?俺特有の勘違いか?
ってここ数年疑心暗鬼・暗中模索の繰り返しだったのですが、
行き着いたところ、どうやらこれは勘違いではなさそうです。
価値観の崩壊、方法論の決壊、という事の顕著な例はTV業界、マスメディアの現状に着目してみると非常に分かりやすいですよね。
時代の象徴だと思っています。
誰も悪くないんですよ。
ただの現実です。
誰も悪くないんですよ。
ただの現実です。
いずれにしても、今、崩壊してゆく価値観の中、気がついて5年先、10年先に向けたアクションが起こせるか?
その一歩を踏み出せるか?
たったそれだけの違いです。
でもそれが大きな分岐点だと思っています。
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でもそれが大きな分岐点だと思っています。
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我が家の小さな宝物である娘の事を想います。
結局は自らが選び取って生きていく人生だとしても、どこかのタイミングまでは親として出来ること、やるべき責任があると思っています。
この時代の変革の中で、さて、今親として何が出来るんだろうと日々悩んでいます。
古い時代の引いたレールを何の考えもなく歩ませることはしたくないなぁ、と真剣に、本当に真剣に思うのですが、
ただ単純な否定だけでは前に進めません。
「じゃあ、どうするのか?」
その、我が家なりの答えを今、妻と一緒に探しています。
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なんやかんやと書きましたが、
大まかに言えば、時代は今、厳しくも新しい「自由」に向かって青く広がっているのを感じています。
これは極めて前向きだすよ、うんうん…。
ただし、その先へ向かうにはそれなりの覚悟と努力がいる。
誰でもOKっていう訳じゃあない。
誰でもOKっていう訳じゃあない。
それもまた時代が示すボーダーラインです。
そうやって時代は繰り返されてきたのです。
常に「今」は時代の先端ではあるけれど、大きなうねりの中では常に時代は上へ下へと揺れ続けてきたのです。
凪の時代を経て、 今、時代はまた揺れ動き始めましたね。
もはや勘違いとは言いません。
人生のターニングポイントとも言える年齢でそんな時代に巡り合わせたのは、幸か不幸か?
私は面白いと感じています。
これもまた人それぞれです。